経営者から接客販売員に転職・前編
(私の40代転職体験記)
共同経営での人生教訓
会社設立以来
私(専務)とH社長は
二人三脚で
互いに対等の立場で尊重しあい
H社長も
参謀役の私からの助言や施策に
会社が
安定期に入りかけた
4年目(1998年)辺りから
H社長は
独断で事を始めだした。
徐々に
私(専務)を疎んじ
遠ざける意図が
見え隠れしていた。
詳細は
思い出すだけでも気分が悪いので
省略するが・・
人間と言う生物は
『喉元過ぎれば熱さを忘れる』
『忠言耳に逆らう』
『恩を仇で返す』
特に
地位や権力を持てば持つほど
この傾向が強い。
自分の度量(器)を見間違え
私欲と傲りが禍根を残し
いずれ
自分自身に返ってくる事を悟るべきです。
中国故事に学ぶ
中国古典の『戦国策や史記』に
記述されている
事例が
物語っている。
紀元前484年に
呉王夫差は
軍師の伍子胥を賜死させた。
伍子胥は
夫差の父(闔廬)を覇者とし、
諸公子が
争っていた時に
公子夫差からの嘆願に応え
推薦し
後継者と確定した際、
夫差から
呉の領土を分け与える言われたが
伍子胥は
良き王と国になる事を願って受け取らなかった。
その結果が
賜死!
則ち
嘆き悲しみ自害している。
然し・・
『恩を仇で返す』様な人間は
必ず!
『因果応報』の原理原則に従い
報いを受ける事に為る。
伍子胥の進言に耳を傾けず
疎んじる様に為り
周りをYesマンで固め
自ら自滅する。
伍子胥の予言通りに為る。
『いずれ呉は越に滅ばされであろう。』
紀元前473年に
隣国の越に滅ばされ
呉王夫差も自ら縊死した。
伍子胥は
多大な功績を上げたが
最期は
主君と対立し疎まれ、
自殺に追い込まれた。
一方、
呉を滅ぼした
越の最大の立役者である
范蠡は
悲願が達成されて
有頂天になる越王勾践を見て、
范蠡は
密かに越を脱出した。
范蠡は
同僚の部下である文種への手紙の中で
『狡兎死して走狗烹られ、
高鳥尽きて良弓蔵(かく)る』
(狡賢い兎が死ねば猟犬は煮て食われてしまい、
飛ぶ鳥がいなくなれば良い弓は仕舞われてしまう)
と残されている。
冷静に時流を読むや
越を去り、
最期は
斉で富豪に成ったと言われる。
鮮やかに身を引いて人生を全うした
范蠡の生き方に
後世の人々は感服し敬愛した。
40歳で人生プログラム放棄する!
今まさに
私にとって
より良い人生を歩むべく
『范蠡の生き方』に
順次する時と決断した。
会社設立以来
私(専務)とH社長は
互いに対等の立場で尊重し
H社長も
参謀役の私からの助言や施策に
耳を傾けていたが・・
会社が
安定期に入りかけた
4年目(1998年)辺りから
独断で事を始めだした。
徐々に私を疎んじ
遠ざける意図が
見え隠れしていた。
H社長の
性格や深層心理を知り尽くしている
私には
逆に
追い込み潰す事が出来るが・・
『人を呪わば穴二つ』
格言通り
私の性分には適さない!
ならば、
会社などくれてやる!
又、
一から作れば済む事だ。
2000年3月に
人間関係に嫌気を指し
自らの設立した会社を退社する。
富も名誉も捨てて
人生プログラム放棄する!
私が満40歳の時であった。
この後の苦難が
私の人生の方向性まで変える様な
大転換期に成ろうとは・・
当時の私には
想像も出来なかった。
余談だが・・
私と袂を分けたH社長は
9年後に変死したらしい。
天罰が下ったのであろう。
続きは・・
以上
