Translate

「アフィリエイト広告を利用しています」

2018年10月18日木曜日

百貨店宝石業界からコンピューター業界へ転職(私の20代最期の転職体験記)

百貨店宝石業界からコンピューター業界へ転職



百貨店宝石業界からの転職決意


1984年(昭和59年)に転職した

某百貨店宝石販売会社での


過酷な勤務も
5年が経過していた。

医療事務から百貨店宝石販売に転職・後編

で記載しましたが・・


この宝石会社の経営者は

数年前に

この会社を従業員ごと買い取った経営者で

私が

入社した時期が

2代目(息子)に交代した直後で

お決まりの派閥争いと旧ベテラン社員の首切りなどで

更なる人材不足による内部紛争激化で

板挟み状況で

直感的に

近い将来に必ず!

倒産するであろうと確信した。

『余談だが・・
この宝石会社は3年後に倒産している。』

私の脳裏に転職の2文字が・・


今度は、事前に

転職先を
探した上で退職すると決め!

そして、


自分の将来への方向性について吟味した。

当然ながら

同じ業界は、御法度!

異業種への転職あるのみ!

当時の私には

まだまだ

事務職への憧れがあり

難とか!

事務職にカンバックしたい!

そんな思いが強かった!

これからの時代は

どの業種か?

考えた結果は・・

コンピューター業界!

コンピューター業界の総務課入社と決めた。

時は、1988年(昭和63年)12月

私が満29歳の時であった。



念願の事務職カンバック


今度は、タイムラグなしで

コンピューター業界の総務課幹部候補として

採用され入社を果たす。

時は、1989年(平成元年)4月

私が29歳の時であった。



ホテル・レジャー健康ランドシステム開発会社入社


この会社は、

特化型ソフトウエア開発会社で

大手コンピューター会社の特約店として

自社開発した

・ホテルシステム

・レジャー健康ランドシステム

・外食オーダーリングシステムを

システム販売しているベンチャー企業です。

創業5~6年目の伸び盛りの会社で

社員は、殆どプログラマーや

SE(システムエンジニア)の
集団で

当時30名ほどの会社でした。

専門の総務経理人材が、なく

専務が

兼任している状況で

No2の専務直轄の総務幹部候補を

探していた時期で

その求人案件に

私が

採用される事に
巡り合えました。

当時、この会社は

飛ぶ鳥を落とす勢い

毎年増収増益で

平成元年(1989年)の


消費税導入も重なり


カスタマイズ特需効果もあり


一気に売上を伸ばしていた。


だが、

管理部門に関しては

全くの素人で・・

専務の手に負えない状況でした。

私の任務は

総務・経理・人事労務管理

全てを熟し

新卒採用活動から社内研修制度の確立と営業管理でした。

私は

専務との交渉で


これらの任務を
1年以内に遂行すれば

必ず!


翌年の4月に


管理職(総務課長)に
昇格・昇給する!

との約束を
取り交わした。

全身全霊で取り組み

入社して1年以内に

総務・経理(決算)・給与

人事・労務全般を担当し

就業規則の改正

人事制度・経理システム改革、

新卒採用制度の確立

(各大学、専門学校新卒採用パイプライン構築)

上記の項目をクリアした。

私自身が

飛ぶ鳥を落とす勢い

でしたが・・

翌年の人事発表は


想定外の

平成24月 総務部主任に昇格 
 
そんなバカな⁇

私は、憤慨し


専務と直談判した。


専務の見解は


「仕事ぶりは、評価しているが


専務直属の中途採用者の部下を


たった1年で


管理職に抜擢してしまうと


社内からの反発や


専務の『エコひいき』と


思われる恐れと


私への先々の弊害を


避ける為に、


段階的に昇格・昇給させたい。」


との事でした。


何とも優柔不断な回答で


納得出来ないので!


社長同席で専務と私で


再交渉した結果!


一旦発表した事は覆せないが


その代償として


『花より実を採る』事で
決着しました。

則ち!


管理職待遇の
給与・ボーナス保証を

勝ち取りました。


私が満30歳の時であった。


然し・・


この専務の人事判断ミスが・・


後々(4年後)・・


会社の運命を左右する


事態になろうとは?



失意の中から再奮闘する!


『花より実を採る』事で決着しましたが・・

正直ショックでした。


所詮、サラリーマンの悲しさ!


経営者のNo2専務取締役ですら


口約束など当てにならない!


然しながら・・


社長、専務、常務からの


熱意と私への信頼感を感じたので


失意の中から再奮闘する!



平成24月 総務部主任に昇格 


 新人教育制度の確立

東京営業本部開設に伴い監査任務



平成34月 総務部係長に昇格 

人事考課制度改革

突然!専務から


役員間だけで決議され


昨年(平成2年)設立された


子会社2社の財務管理整理と決算処理!


私が満31歳の時であった。



専務の2度目の人事判断ミス


私は、入社以来


破竹の勢いで


管理体制基盤と


会社方針100名体制確立に向け


新卒定期採用パイプライン確立から


新人教育制度確立と


即戦力SE,プログラマー募集に


躍起になっていた。


私と同期で


引き抜きで入社された


Y営業部長も


剛腕で


大手外食焼肉チェーン店への


オーダーリングシステム導入で


売上を倍加させていた。



私は、


30名体制から100名体制確立


Y営業部長は売上を3倍に


共に、立場は違うが


互いに破竹の勢いであった。



今までは、


社長は営業管理、


専務は内部管理と


常務がシステム管理と


バランスを採れていたが・・


平成2年4月には、


Y営業部長を


取締役営業部長に昇格され


同時期に


東京営業本部開設に伴い


某大手商社からの引き抜きで


S取締役営業部長を
抜擢した。


この2名の営業部長の影響で


営業と管理のバランスが


崩れ出した。


又、


平成3年後半から


債権回収率が


著しく低下し始めていた。


更に、


接待交際費が


大幅に増大し始め


利益が出ているのに


資金繰りが


厳しい兆候が
見受けられた。


平成44月 総務部課長に昇格ならず! 


入社以来初めて


毎年昇格ストップ!


私が満32歳の時であった。


又も、


専務の優柔不断な回答!


「3年連続昇格させると
目立ちすぎる?

1年空けて
課長職にする。」

この専務の2度目の人事判断ミスが・・


後々(2年後)・・


命取りと為る!


当時、幹部会議は


課長職以上でないと
出席出来ず

元々SE上がりの専務では、


損益分岐点から


受注管理と実売対比分析
に基づく

予算配分交渉が


営業に押し切られる


事態であった。


則ち、


社長やY取締役営業部長の暴走を


止められなくなっていた。


歴史に、「もし」は無いが・・


私を


平成2年4月と平成4年4月に


課長職以上に


抜擢されていれば・・


この会社の運命は


変わっていたであろう。


平成54月 総務部課長に昇格・・時すでに遅し! 


入社以来4年目で

名実ともに


管理職に昇格したが・・


時すでに遅し・・


会社も大きくなりすぎ


幹部会議は


部長代理以上でないと


出席できない


決まりと為っていた。


専務の下支えと為るべく


営業の暴走を
食い止める為に、

『予算管理・受注管理制度の是正』
敢行した。

私が満33歳の時であった。



平成64月 管理本部部長代理に昇格・・手をくれ!


専務が初めて

私への


人事昇格時期の判断ミスを認め


謝罪され~助けて欲しい!


遅まきながら


平成64月 管理本部部長代理に昇格


私が満34歳の時であった。


私は、就任直後に


幹部会議にて


『不良債権是正プロジェクト委員会発足』


徹底的に


営業体制の膿を出させ


資金回収と
受注その物の検証を敢行したら・・

予想通りの


架空売上疑惑??浮上する!


幹部会議と役員会議は


修羅場と変わる!



平成3年(1991年)から


経理的直感で


危機感を感じ~


何度も専務に


改革を提案したが・・


実行されず残念でならない!


私の5年間の努力が


水の泡に・・・


私のシナリオが


崩壊した瞬間だった。


あと一歩で


役員まで上り詰める


機会が、壊れた!


某大手コンピューター会社の
特約店である

この会社の
危機を救うべく

某大手コンピューター会社の
監査役が

介入してきたが


救うどころか??


整理回収の様相であった。


私は、


ある構想を立案して


最期の賭けに出る為に


平成6年7月 退職する。


案の定


この会社は


平成6年8月 倒産する。

続きは・・・


サラリーマン人生から経営者に転職・前編(私の30代転職体験記)


【関連記事】


以上

「アフィリエイト広告を利用しています」